音色が先か、曲想が先か

先日の論考のつづき。
(実は下書きはだいぶ前のものだ)
音楽に置き換えて考えてみるとよくわかる。
音楽制作において、
「音色が先か、曲想が先か」
あるいは
「楽器が先か、曲想が先か」
などと考えてみても、どちらが先かなんてわからない。
あるシンセサイザーのパッチに触発されて書き始めたものの、
その後作っていくうちに、以前から脳内であたためていた曲のアイデアが上手くはまった。
という場合もあるだろうし、
脳内で曲想を練っていたが新しく買ったギターの音色で奏でてみたら
曲が思わぬ方向に進み始めた、などという場合もあろう。

例外:モーツァルト
モーツァルトは、曲の頭から終わりまでが脳内に現出する。
彼にとって作曲とは、脳内の音像を譜面に書き写すという単純作業であった。

このような圧倒的な楽曲構築能力を持つ天才の場合はともかく、
多くの凡人にとって作曲とは、さまざまな偶発的な外的刺激により変化する、
変幻自在の流動体を徐々に固形化し成型していく作業であろう。

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