メディアが先か、コンテンツが先か

佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)と中川直樹さん(@nakagawan)のツィートを追っている。真の意味でのフォローをしている。
佐々木さんはジャーナリストなので最先端のITに関する玉石混淆の膨大な情報を選り分け(キュレーション)、恐ろしく的確な分析をし、より価値のある情報へと加工し私たちに届けてくれる。その内容は大変刺激的だ。
一方中川さんのweb制作業界のリーダー的見地から発せられる言葉は、より感覚的かつ制作現場に即した、大変有用な、実践向きの情報を届けてくれる。
この二人、ソーシャルメディアに対する考え方は対照的で、佐々木氏は当然さまざまなソーシャルメディア、それに付随するサードパーティー製ツールなどについて解説をしておりその興味は尽きないといった様相だが、中川氏はソーシャルメディア論はもううんざりしているようである。それよりコンテンツに目を向けようよ、額縁をいくら論じても、入れる絵がよくなくてはどうしようもないじゃないか、という立場のようである。
私はサウンドクリエイター時代から一貫してコンテンツを作る立場であったので、この意見は大変受け入れやすいし、どんな画期的なメディアも結局はコンテンツが命である、これは事実である。
その反面、メディアはコンテンツを生む装置である、これもまた事実。ネットメディアに限れば、2ちゃんねるという装置、mixiという装置、MySpaceという装置、twitterという装置、モバゲータウンという装置…どれも人を楽しませるための工夫に満ちている。そしてその装置をより楽しむために自主的にコンテンツが作られていく。この場合、コンテンツは真空の中で生まれたわけではなくその装置のなかで生まれたわけだから、メディアが先、ということになる。多かれ少なかれ、好むと好まざるとに関わらず、外的要因は内的要因に影響を与える。その時代をrepresentするような優れたコンテンツは必ずその時代時代を切り取る力を持つ。
結論としては、どちらが先か、ということはあまり問題ではなく、コンテンツはメディアと無関係には産まれ得ないし、メディアはすぐれたコンテンツが産まれる装置としての機能(例えば「140文字以内で」など)でコンテンツ制作者に刺激を与え、結果として世の中を面白くしてくれるような現象をこそ、僕らは渇望しているのだ。それはいわばメディアとコンテンツの「コラボレーション」である。

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