シゴトの動機づけ

今の組織で、今後どういう働き方をするべきなのか。
自分は今、そういうことを考える機会にあります。

そして今は特に、シゴトにおける内発的動機づけと外発的動機づけについて考えている。
シゴトが好きだから働くのか、お金のために働くのか。
あるいは自分のために働くのか、誰かのために働くのか。

結婚しているか、子どもがいるか、といった外的要因によっても答えは変わってきそうだ。

音楽の仕事のとき、内的動機づけという力は、結局自分のために働くということになるので、大きなモチベーションに成り得なかった。
Webのシゴトをするようになって初めて就職した会社で自分はどう動いたか?ここに答えは隠されていそうだ。
技術者としての就業だったにもかかわらず、
「うまくこの機能を実装できたぜー満足!」
というよりは、
「こうすれば一緒に働く人(またはお客さん)がハッピーになれるのに」
ということを考える方がモチベーションに成り得た。
この時の気持ちが、シゴトの原点のような気がする。
それ以来、仕事は誰かのためにやるもの、
という考え方が自然に身についているのだと思う。
#にも関わらず自分は今も技術者をやっているところに矛盾が有り、これを解消しないことには前に進めなさそうだ

強い内的動機づけを求められる職場環境では、内的動機の量に比例して喜びが大きくなる(それを持っている被雇用者にとっては喜びとなり、それを持っていない被雇用者にとっては苦しみとなる)。

自分はそんな強い内的動機は持ってないよ。

音楽の勉強をしてやっと食えてきたところで挫折して、

他にはWebしかなかったからWebに来た。食うため、食わせるための最後の手段として、Webを選んだ、というかWebしかなかった。

PHPでもRubyでもどっちでもいい。動くのを作ることに精一杯。あるいは、動けば満足する。
所詮道具の問題。道具は過程。自分は、過程より結果にこそ興味があるみたいだ。

ゲームが好きでオンラインゲーム会社に来た?
いや、進んで飛び込んだというより、Web制作の需要が頭打ちになり、金の集まるこの業界に流れ着いた、という感じ。

そんな自分にどんなこだわりがもてようか?

僕にとって仕事観は、以下のようなものだ。

自分がやりたいことではなく、やるべきことをする。

価値提供のために、自分の得意な力を活かす(苦手なことはきっぱりとやらないで人に任せる)。

最終的に受け取る報酬に見合った価値を提供する。

自分の人生に関わる人全員をハッピーにする。

ここまで考えれば、自ずと答えは明確になりそうなものだ。

しかし自分、ホントシゴトに関しては悩みが尽きないなー