大学受験の時、文学部をえらんだワケ。

高校二年から三年、浪人の間に、美大日芸の音楽の学部(高校が日大の付属校だったのだ)、

への進学を志し、結果的に、文学部へ進学した。

自分なりに出した理由は、言葉で音楽を語る事は出来ても、音楽で言葉を語る事はできない。

だったと思う。

二十年も前にそう決めてたのだから、話は早い。

言葉を使って仕事をすべきだし、今すぐそうできないのであれば、そうできるようになるには、どうすれば良いのか、足りないもの、出来ていることをリストアップして計画的に実行していく以外にない。

二十年前の当時と違うのはコンピュータ言語を操る仕事に従事しており、これを言葉と言えるのかどうか、というところ。

その回答次第では、これからやらなければならない事は大きく変わってくる。

大学に入って二年目に、専修を何にするか決めなければならなかった。入学して早々音楽に明け暮れた僕は全然やりたい事が見つけられず、受験勉強で一番好きだった英語の勉強と、英語圏の文化に親しみたいという理由で、英文専修に進む事に決めた。一番驚いたのはアレン•ギンズバーグの詩、ポール•オースターやウディ•アレンの映画と出会えたのは後々大きな影響を与えたと思う。

今僕はソーシャルゲームを作るWEB技術者だけど、この仕事に役立ってるか、っていうと、う〜ん、何かの役にはたってると思うよ、としかいえない。その何かは、例えばコミュニケーションを円滑にするためのウィットであるとか、辛い時に楽になる方法の選択肢が少し増えたとか。そう考えると、教育って、何なんだろう、とか、考えてしまうよね。あと、自分で徹底的に考えて結論を出して、一つ一つ進んで行き、ある地点に到達したらまた振り返り、軌道修正し、また前に進む、という、自ら考えるくせを付けないと、迷宮に迷い込む。逆に、これからこれらの経験を活かせる仕事に着けば言い訳で。音楽やゲームといったエンタメコンテンツと教育とのいい関係について考える仕事。

参考記事:

http://gigazine.net/news/20120810-gaming-is-good-for-you/

http://www.crn.or.jp/LABO/BABY/SCIENCE/SAKAMOTO/

http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/kenzenforum/kenzenchiiki/07011211/004.htm

http://www.toilet.or.jp/iiunchi-labo/unchireportkurokawa2.html

http://www.hss.ocha.ac.jp/psych/socpsy/sakamoto/media/vr_game/vr_game.htm

あるいはPDCAサイクル(計画実行評価改善のサイクルによってスパイラル状に高い次元に向かっていくこと)の重要性について徹底的に考察し、重要性を訴えて広めていく仕事。

漠然としたイメージなのだが、若者には、自分の能力を最大限活かせるための社会作り、こんな仕事があるよ〜と見せてあげて、こどもたちが目をキラキラさせるなんていうシーンがみられたら、ほんとやりがいを感じられると思う。僕はなんでもやらせてもらえる親の元育ったので、そういうのはいいなと思う。そしてその反面、無限の可能性を正しい方向に導いてあげないと(社会とのマッチング)後々本人が大変な苦労をすることになるだろうことも容易に想像できる。これは絶対に必要なことだが、自分で考える癖を付けさせることと背中合わせであるので、過干渉は禁物だ。

また、大学や専門学校の出会いの場としての側面だけでなく1番重要な機能である学びの場としての現状と、必要なものは何か?についても考えていかなきゃならないし、ゲームなどのデジタルエンタメが教育に与える影響と、問題があればいかに改善できるのか、などについても調べないといけない。これからやるべきことは山積みだ。

タイトルからだいぶ逸脱した内容になってしまったように見えるが、自我が芽生える原点であった進路選択と、その行動の分析から今後の方向性を考える事ができたので、定期的な振り返り、軌道修正は大事だよ、という話でもある。

最後に直接関係しているのかは分からないが、前日にこの本 を読んだのが僕のこのエントリーに何かしらの影響を与えていることは間違いないので、更に思考を推し進めたい方は、ぜひとも一読をおすすめしたい。