映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。

日本公開前から観たい観たいと思っていた所に、地元の友人の「今日はソーシャルネットワーク見に行く」というツィートを発見、即「俺も!」と乗っからせてもらい、鑑賞。公開後かなり早いタイミングで観ることができた。
住宅街のレイトショーだったのだが、結構お客さんが入っていた。
マーク・ザッカーバーグ役は日本人で例えると嵐の二宮くんのようなナイーブさをたたえるジェシー・アイゼンバーグ
Webサービスの流行なんて一過性で、どうなるのか神のみぞ知る不確かなものだけど、ザッカーバーグはもともとコーディング能力がずば抜けている。ハーバードというアカデミズムの最高峰において、二回生にしてそのプログラミングの腕は学校中に知れ渡っていたというのだから相当なものだ。流行という不確かなものと技術という揺るぎないもの、両方の女神が彼の元で微笑んでいるというなんとも羨ましい状況に、元気をもらうどころかむしろ凹むくらいであった。
ここで一つの気づきがある。それは、今まで深く関わってきた二つの事音楽とWebサービス、どちらも熱狂的に多くの人に支持されているという「現象」に魅せられているという点が共通項という点だ。
例えば宇多田のCDが売れすぎて店頭から消えるとか、Facebookの人気が爆発してあっという間にMySpaceのシェアを奪うとか。分野は違えど、人気という不確かな魔力の不思議に取り付かれているのかもしれない。
ソーシャル・ネットワークを観てしばらくすると、Web好きな人なら、Webの進化の歴史について考えたくなるの自然なことであろう。
長年Webに魅せられている僕のようなウォッチャーなどは酒などを飲みながら、なつかしいWebサービスに思いを馳せてしまうことになる。
なつメロならぬ、なつWeb。teacupの無料掲示板、Web裏技(CGIレスキュー)、geocities無料ホームページ、Livedoor無料プロバイダ、などなど。これらは私がwebに出会ったころのサービス、今は誰も、ほとんど見向きもしない。これがWebの怖さであり、面白さでもある。
しかし、mixiを初めて使ったときは心から面白いと思った。
招待制をはじめ、いくつかの機能はFacebookからヒントを得ているものの、足あとやコミュニティなどの独自機能と、何より日本人の手に馴染みやすいUI。そんなmixiも、いよいよ本格的にFacebookと対決するときがやってきたようである。
Facebookにさらに興味を持ち、書籍を読んでみて驚愕。
ザッカーバーグのパーソナリティーしかり、周辺人物の構成しかり、真実は映画とはずいぶん違うなという印象を受けた。映画はかなり脚色しすぎているようだ。『ライ麦畑』チックな大学生らしいエピソードなんかも微笑ましく、まくし立てるような展開の映画よりスリリングではないものの、安心してじっくりと楽しめる。この本でマークが言うように日本でもFacebook「ガスや水道のような存在」になれるのだろうか。
そしてFacebook、映画の影響からか、知り合いが続々と登録を開始。ぐっと面白みが増してきた。やはりソーシャルは人がいないと面白くもなんともない。「いいね!」のオンパレードにゲームやり放題。こりゃソーシャルテーマパークだなと思った。逆に言うとtwitterはゲームも何もなくテキストだけでこんなに楽しませてもらえてるのは、皆の想像力の豊かさに感服である。
Facebookの気持ちよさを分析してみた。まずは軽快な動作。フロントエンド、バックエンドともに相当出来がいいというのは聞いていたがそれがよくわかる軽快さで、本当によいプログラムなのだろう。そしてやはり特徴的な「いいね!」ボタン。この「いいね!」ボタンをまず押してからコメントをつける、という仕組みが他のソーシャルメディアと一線を画すところで、コメントを送る前に「いいね」の反応が真っ先に相手に伝わるという仕組みが、コミュニケーションをより生き生きとしたものにしているのである。